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ご挨拶

こんにちは。Educarealize Groupの経営戦略室長の山村 樹と申します。

当社、ホームページを見てくださりありがとうございます。ページを見ているということは、何らかのきっかけでグループ、弊社を知ってくださり、弊社がどんな会社なのかということに興味を持っているのかと感じます。このグループ、会社はどういう会社なのか?どんな仕事をしているのか?就職する上で大丈夫な会社なのか?などをお考えで弊社について調べていただいているかと思います。

そこで、弊社のことをより知って頂くため、このページでは私の創業の経緯や想いを下記に記載いたしました。何かのご縁であったと私たちは感じております。お互いの人生にとって、魅力ある人生を送っていただくためにもまずは下記ページをご参照いただければ幸いです。是非、どんな人かお読み頂いた上で、今後、私たちの会社や世界観に関わる上での参考にしていただければと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

幼いころの夢は、ケーキ屋さん。

3歳の時、グループ内の学校法人のまこと幼稚園へ入園しました。今考えると、私の幼少期を知っている先生と仕事で来ていることに感慨深いです。幼稚園では毎回お絵描きをするとき、必ず書いていたのは苺のショートケーキ。今も苺のショートケーキは大好きです。三角を書いてその下に長方形を追加し、三角の真ん中に赤いぽち(苺🍓)を書いてケーキが完成(笑)

ある時、馬の絵を描くコンテストがありました。担任の先生からは「いっちゃんケーキはいちゃダメだよ」と言われていましたが、担任が席を外した瞬間端っこにショートケーキの絵を追加。それでも結果は入賞。それくらい夢中になれるものが小さいころからあったかなと感じてます。

何かを没頭することの大切さを気づいた学生時代

小学校3年生から野球を始めました。部活動に明け暮れる生活をしていました。小学校、中学校、高校は野球と向き合いました。野球しかわからなかった僕でしたので、大学ではいったん野球から離れ、新しいことにチャレンジすることを決めました。私は、3つの挑戦をしたと考えております。1つ目は学生寮です。和敬塾という名前なのですが、村上春樹やノルウェーの森でも紹介されています。

大学入学前、友人と「せっかくなら食事もついてるし、大学(@渋谷の國學院大學)へ電車で一本でいけるし、一緒に寮入るか」と、軽々しく入寮を決めましたが、、、入寮(入塾)後は「部活みたいな寮」と感じる日々が続きました。今になっては笑い話ですが、いろいろありました。例えば入塾初日から、、、

  • 先輩が自分の視界に入ると、その場で立ち止まり、大声で「こんにちは」
  • 先輩が自分の視野から離れる際、「失礼します」と、これも大声
  • 先輩とお昼や夜ご飯を食べる時、ルールがたくさん

まあ中々、このご時世にはふさわしくありません。時には、先輩が無茶振りで一芸をたくさん振ってきた等ありました。(一芸にはルールはありませんが)先輩に会うと「あの時は無茶苦茶だったな」と言われます(笑)。ですが、この(理不尽の)経験があって今があります。これが私の学生生活。大学生活のスタートでした。

和敬塾を説明すると長くなりますが、わかりやすく言うとハリーポッターに出てくる魔法学校「ホグワーツ」のようなものです。5つの寮(東・西・南・北・乾)があり、それぞれの寮で共同生活を送ります。それぞれの寮には独自の文化がありました。私が入寮した東寮は、とにかく男臭かった寮という印象です。

ちなみに寮が違うから他の寮生とは話さないのか?絡まないのか?と聞かれることもありますが、和敬塾は、当時も今も、寮の行事がとても活発です。寮を超えても生涯付き合っていける仲間ができます。それは60年以上のという歴史があり、代々先輩方がバトンを繋いできたからです。私が学生時代の時もOBとのお付き合いは多くありました。私はこの和敬塾で社会人の土台を作りました。和敬塾には、人が育つヒントがたくさん詰まっていると常々感じます。

そして2つ目は、人力車のアルバイトです。ただモテたい!ただそんな単純な理由だけで4年間このアルバイトを続けてました。

数千組のお客様を乗せて、浅草の下町を駆け抜け、走り抜きました。浅草に来るお客様を満足させ、感謝され、時にはお客様から言われる言葉に助けられる自分がいました。社員さんから可愛がられ、たくさんの経験をしました。人力車のアルバイトで

  • 両親、祖父母家族全員人力車に乗せる事ができ、一つの親孝行ができた
  • 先輩、同輩、後輩といった友人、知り合いの方に自分が少しでも頑張ってる姿を見せることができた
  • 人力車というモノの大切さ、扱い方を見直すことができた
  • 相手を喜ばせる事が自分は本当に好きなんだと再確認できた
  • 挨拶、礼儀、言葉遣い、コミュニケーションなど社会でやっていける能力を身につけることができた等ですかね。
  • 他にも下町の方から僕は特に多くの愛を貰いました。

おそらく介護福祉業界のコンサルタントになりたいと思ったきっかけの1つは、この人力車のアルバイトの影響でもあります。

地域やまちづくりをしたいといった大きな視点を持てたのも人力車の影響です。そして人力車のアルバイト経験は、就職活動のネタにもなり、当時売り手市場だったということもありますが、就職活動はうまくいきました。

最後3つ目は、将来的にも必要な教員免許取得です。私の両親、家系は教育一家です。大学の授業で単位を取らなかったら、、怖いお叱りが父からありました。なので眠くても疲れても大学には行きました。

そんなこともあり、余裕をもって卒業できました。大学4年の夏は、母校へ教育実習に行きました。本当に教育実習の3週間は楽しかったです。社会科の教員免許を取得しました。

大学卒業後、なぜコンサルティング会社の門を叩いたか

コンサル会社では有名な船井総合研究所のインターンを受け、「コンサルタントは経営者のパートナーだ」と有名コンサルタントが言ってたことに、ビビッと来て、コンサル会社に入ろうと決心しました。

先ほども書かさせていただきましたが、就職活動では、和敬塾と人力車の強みを活かし、こんな私でも内定を選べるくらいもらえました。そして悩みに悩み、ヘルスケア業界では強い日本経営に入社しました。しかし、そこから苦労の始まりでした。

苦労した社会人1年目

中学・高校と野球に没頭し、大学ではお分かりの通り、全く勉強をしてきませんでした。そのため物事の理解することが人より遅く、本当にしんどい想いをしました。(勉強してこなかった自分が悪いと本当に痛感しました。)

前職は、成果報酬制度があり、稼いだら稼いだ分だけ給与がもらえるという仕組みがありました。当時1年目の10月から個人予算がつきます。

さあ頑張ろうと言っても能力がない自分にお客様はいない、上司と同行させてもらうクライアント先はありましたが、

案分は微々たるもの(周りの同期からも惹かれるくらい少なかった...それだけ自分の能力がなかったということです)、周りの上司先輩からは本当に馬鹿にされ、できない呼ばわりでした。

そして赤字社員と最終的には言われ、もう本当に当時は悔しかったですね。思い返すと、人一倍悔しい想いをしてきたからこそ、今があると思いますが、当時は毎日絶対いつか見返してやろうと強い想いを持ってました。(メラメラしていましたが、今は本当に働きやすい職場になりました)

しかし、強い想いはあっても、全く成果が出ずに1年が経ってしまいました。そして社会人2年目に突入する前の3月、過去契約いただけなかった顧客リストを上司からもらいました。

私はチャンスだと思い、封筒を購入し、手書きで宛名を記入し、チラシと案内資料を作成、手書きの手紙を添えて郵送しました。

全部で70件。「そんなの作っても無駄じゃない?」と周りから色々と言われました。ですがテレアポを行い、実際訪問し、営業した結果、2件ご契約をいただくことができました。

今じゃ考えられないくらい泥臭い営業をしていましたが、そこから私は介護福祉業界に足を踏みいれました。

初めてのセミナー講師をして感じた、緊張感

社会人2年目の6月。実家のグループ(Educarealize Group)が前職の職員満足度調査で1位になりました。(今や6年連続1位です🥇)

それをきっかけに実家の取り組みを参考にセミナーをやってみようと考え、「ホンキで考えている人限定 職員満足度向上セミナー」という名で企画しました。

しかし、上司からは「人前で話すにはまだ早い!」と言われました。しかし、何度も上司に企画書を提出し、渋々了承をもらい、40分の枠をセミナーを講師として話す時間をもらいました。

今はコロナの影響もあり、いくらでもネットから情報が取れる時代ですが、5年前は足を運んで情報を取る時代。

当時私が知る限り、前職の単発セミナーの参加者は当時平均参加者数は10名弱でした。絶対集客も成功させるためにタイトルやリード文、キャッチコピーを練り、FAXの集客方法で25名参加してくださりました。

しかし、集客はうまく行ったものの、セミナーデビュー。失敗は許されません。当日、同期とカラオケや社員寮のリビングで夜遅くまで練習をしたりと良い思い出です。

セミナーは、無事終了。実家の取り組みをベースに話しつつ、40分話しきりました。講演する前の緊張感は今でも覚えています(汗)

その後セミナーも継続していき、そこから全国の介護福祉事業所様、医療機関様から依頼をいただき、仕事に繋がっていきました。いま振り返ってみると、本当にお客様から学ばさせていただいたことが本当に多くありました。

お金をいただいて、学べますし、経営者の方、お客様の人生の歩みを聞くことができます。コンサルタントではの醍醐味だと思います。

祖母の死から考え直し、本来私がすべきこととは?

実は私の祖母(学校法人の創業者)は、私が社会人になり、入社直後に亡くなりました。入社式前、実家にいた祖母はご飯も食べ、抵抗なく会話もできてました。

安心して私は大阪へ向かいました。しかし、入社式の翌日の研修中「すぐ栃木に帰りなさい」と人事部から言われ、大阪から新幹線で宇都宮に向かいました。幼稚園の先生が迎えに来てくれ、車で病院に向かいました。

病室に入った時、祖母は延命治療を受けていました。「あんなに元気だったのに何で…」と何もできない自分の無力さを感じました。そして祖母が亡くなり、早8年。

今一緒に働いている職員の家族にそんな経験をさせたくない。

そんなことを思い今に至り、走り続けようと考えております。祖母の死がきっかけで、もう一度自分の人生を考え直しました。

私がやりたいのは、「人が本当に困った時に助けること」。両親から教えてもらったことは小さい時から「困っている人に手を差し伸べ、助けること」です。人が本当に困る時はいつだろうか、色々と考えました。それは、家族が死に直面することが一番困るし、ココロも痛まると思います。そういったことを、私はこの「問題」を解決する事業をすることを決意しました。

そして最も深刻である2025年問題、高齢者急増の解決をまず始めようと感じ、今回在宅介護分野の訪問看護を開始しようと心に決めました。私は29歳ですが、社会人になり、祖母が亡くなり、7年ちょっと、初心に返り、ようやく介護事業を始めることを決心しました。紆余曲折してきましたが、決心がついた瞬間です。

想と書いてあるように、像力を持ちながら、思い(想い)やりを会社としても、グループとしても、そしてスタッフ1人としても今後も常に持ち続けれる企業になりたいと考えています。

現在行っている事業について

現在、私たちEducarealize  Groupは4つの法人で25の事業、栃木県にて18の拠点で行っており、200名を超えるスタッフで「地域社会に新しい価値を見出す」をコンセプトとし、私たちと関わる一人ひとりの人生における大切な時間をお預かりし、その人生を輝かせるために存在してます。

学校法人 金子学園では、認定こども園 まこと幼稚園子育て支援 はぐかふぇ子育て支援 アウリ―キッズ学童保育の夢の学舎子育て訪問事業 はぐみー送迎Lounge 駅東保育ステーション 宝木不登校支援 フリースクール学習塾 まなびーカフェ、英会話スクールと10事業を行っております。

社会福祉法人 藹藹会では、障害者支援施設 ハートフィールド相談支援事業所 ポンテ児童福祉施設 ハートフルナーサリー分園 ハーモニー放課後等デイサービス ポコアポコ小規模保育事業B型 クオーレグループホーム アネーロ多機能型事業所 Koga志Baseと8事業を運営しております。

一般社団法人Future Grip研究所では、経営コンサルティング事業、研究会や研修事業、日本語学校の運営(@モンゴル)をはじめ、登録支援機関としての未来を作る人材交流センター、そして地域密着型の宇都宮老人ホーム紹介センターと5事業を運営しております。他にも宇都宮市で初のこども第3の居場所事業 TAKUWAERUという事業も開始しています。

そして今回の株式会社 想では訪問看護をはじめとした介護やヘルスケア事業、内装等はじめとした施工管理業務などを通じた環境支援を行っていきます。

政治や行政などの制度的な部分でなく、現場から変えていくのが急務だと思いました。だからこそ、今後もグループの力を集結し、地域密着した事業をする必要があり、最も縁がある産まれ育った宇都宮市をはじめ、栃木県で事業をやろうと引き続き、思っています。地元でやることで最も身近の人間が困った時に救える事業をしたいと、ユーモアを持ちながら今後も考えていきます。

今後を見据えての展望「事業の多角化で、地域の中核を担うグループに」

国は医療・介護・福祉、そして教育の事業を民間に委託しているとはいえ、事業所や施設のことを国のインフラだと考えています。国家主導で行われている計画(介護保険計画など)であるからこそ、国がどのような社会を目指しているのかに沿った事業展開をしていく必要があるかと思います。

例えば、国が求める未来の医療・介護・福祉の姿とは、大きく言うと、①在宅重視②地域重視の2つです。

今後、医療・介護・福祉は、施設や病院でなく、在宅でサービスを受ける時代に変わっていっています。厚生労働省の説明によると、「地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や当道府県が地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です」と言っています。

つまり、当グループとして、栃木の自主性や主体性に基づき栃木の特性に応じて地域包括ケアシステムの中核を担うよう事業展開していきたいと考えています。

盲目的に全国展開をしていくことよりも、腰を据えた長期的な地域づくりを重視する経営をして、どんな大企業にも負けない根幹の事業を作っていく方針です。全国の複数の県や市に展開している企業は全て一律化のオペレーションをする必要があるので、結局は地域の特性に応じたニーズに対応ができなくなります。

だからこそ、地域住民との信頼関係がある地域密着している企業が最強であり、どんな資本力がある大手企業がきても地域密着企業には勝てないのです。私たちは、栃木県にこだわり、地域包括ケアシステムを構築するために、住まい、教育、保育、介護福祉、生活支援など様々な分野の様々な事業を展開していきます。

地域社会を支え、その人に「関わる問題」を「ありがとう」に変える。

我々のコンセプトに「地域社会に新しい価値を見出す」という大切なワードがあります。これまでも例を挙げるのであれば、2016年に定員の半分が肢体不自由の障害をお持ちの子をお預かりできる保育園を開設しました。今まで肢体不自由のお子さんのケアをする際、お母さんは仕事や私用もできずにマンツーマンで子育てに寄り添っていたと思います。しかしながら、この保育園を作ることにより、お母さんは働くことができ、自分の時間を使うことが出来ようになりました。まさに私たちが目指すべき、「地域社会に新しい価値を見出した」一つのシンボリックに今もなっています。

他にも不登校のお子さんの居場所としてフリースクールを2023年に開設し、不登校の児童を「はみだしたこども」ではなく「社会を構成するこども」と捉え、遊びや体験、活動を通じてこどもがこどもなりにもつレジリエンスを強化していきたいと考えています。

そしてこれらは幼稚園や保育園、学童、障がい者支援施設や自然溢れる里山といったグループの資源を活かして、農業、DIY、料理など豊富な体験活動を行っています。

体験の場で感じることを大切にしながらスモールステップで「学び」を取り戻します。心地よい雰囲気の中で、児童・生徒の主体性が発揮されるよう、そして保護者の方が安心して預けることのできる場づくりを今も行っています。

そして共働きの方が増えている中で放課後の居場所の問題も出ています。そのような環境下の中で子ども第三の居場所事業TAKUWAERUを開設しました。このように決して、教育介護、介護企業でも福祉企業でもないです。

だからこそ、私たちEducarealize Groupとしての事業プランは業界や業種にこだわることなく、今後もその人に関わる困っている問題を助けることに集中して事業展開をしていきたいと思っています。地域社会に事業の力を使って、色んなことを解決していければと思います。

私は、そういった問題に突き進みますので、是非、この想いに共感して下さる方は何らかのかたちで関われたらと思います。グループとして、今後も地域から必要とされるために努力していく所存です。引き続き、Educarealize Groupをどうぞよろしくお願いいたします。

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